震災から得た私の思い
少し過ぎてしまいましたが、先日3月11日。
東日本大震災があった日からまた1年経ちました。
私はあの日、以前の仕事(人材派遣会社の経理事務)をしていた時の上司(支店長)とランチに行ってカフェに行ってと…のんびりした時間を過ごしていました。
上司は男性ですが、とても気さくで話しやすく、仕事を辞めても会って食事をする仲でした。
その日も悩みや近況などを話して、夕方頃には帰宅。
すぐに当時保育園児だった娘を保育園にお迎えに行き、帰宅後にいつもの恒例である「Eテレ」を付けました。
が、あれ?いつもの子供向け番組じゃない。
チャンネル間違えたかな?ともう一度リモコンを操作。いや、合ってる。
そこで他のチャンネルを見たところ、事態をやっと把握。
実際の地震発生から私が地震を知るまでに約3時間弱かかっていることになります。
驚きでした。そんな言葉で済まされない、見たことのない衝撃的な映像。
私は岡山なので、震度1程度だったと思うし、テレビもスマホもみていなければこんなにも気付くのに遅れるんだなって思いました。
でも現地で被害に遭われた方々は、私の知らなかった3時間弱という長いようで短い時間の間にとんでもない命の危険に直面していたんですよね。
当時の私も適応障害で仕事ができない状態。テレビでは「体調が悪い方は視聴を控えてください」というような案内が何度もされていた記憶があります。
はい、体調は崩しました。動悸・息切れ・吐き気・頭痛……。
でも、それでも私はなぜかテレビを観ることを辞めませんでした。
正直、今でもたまにYouTubeで地震の様子・津波の様子を観ることがあります。
「面白がって観てるの?」「被災者の気持ちが分からないの?」
そういう風に言われても仕方ない…のかな?
なぜ観るの?そう聞かれたらきっと私は、
「忘れたくないから。」
そう答えるかもしれません。
自分はその惨状の現場にはいなかった。でもあの時の記憶はこれからも忘れない。
忘れるべきでない。
東日本大震災のあとも大きな地震はいくつか発生していますが、幸いにも岡山では大きな被害はありません。
近いうちに来ると言われている南海地震の時は、どうなるか分かりません。
ちなみに私の実家だった場所は高知県安芸市。
津波のハザードマップでは一番危険とされる、真っ赤な色のエリア内です。
母が亡くなってからは叔母が1人で住んでいます。なにか対策をすべきなのか悩んだこともあります。
けれど、叔母は叔母で地震の備えをしているかは分からないものの、姉や両親(叔母からみて)との思い出があるあの家から離れる選択肢はないのかな。
どんなに必死に災害に備えていても、現実にその事態に直面すると人は想定通りに動けるのかは謎です。ですが、備えること・万が一の避難先の把握・家族との連携の確認は大切ですね。
…と言いつつ、我が家にはまだ防災セットを常備していません。
こんなにも語っておいて!!!
このブログを更新したことを機に、きちんと用意するべきだなと…今心に誓います。
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